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岡山地方裁判所 昭和33年(タ)12号 判決 1960年3月07日

原告 浜本素子

原告 浜本怜子

右原告両名訴訟代理人弁護士 岸本静雄

被告 浜本寿

右法定代理人親権者母 浜本文子

右訴訟代理人弁護士 小野山武夫

主文

昭和三十二年四月十日、岡山県吉備郡高松町長に対する届出によつてなされた訴外亡浜本鹿夫と被告との間における養子縁組は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

その方式ならびに趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立した公文書と推定されるし、当事者間においてその成立に争のないものでもある甲第一、二号証(戸籍謄本)によると、訴外亡浜本鹿夫(養親)において昭和三十二年四月十日岡山県吉備郡高松町長に対し被告を養子とする旨養子縁組の届出がなされていることを認めるに充分である。

原告等は右養子縁組の届出が養親及び養子の双方において真に養親子関係を生ぜしめる意思がないのにかかわらずなされた無効のものであると主張するので判断するに、前示甲第一、二号証、公文書なるにより真正に成立したものと推定されるし当事者間にも成立に争のない乙第二号証の一ないし四、証人孝田長生の証言によると、鹿夫は右届出のなされた昭和三十二年四月十日当時岡山市岡町七番地に居住して戦災復興工事事務所に勤務し、月収七、八千円を得、これと自己の所有する宅地を他に賃貸して取得する賃料一ヶ年について金一万五、六千円をもつて生計を営んでいたものであるが、長女たる原告素子(昭和六年一月二十九日生であつて操山高等学校卒業。)二女たる原告怜子(昭和八年二月四日生であつて烏城高等学校夜間部卒業。)を儲けたのみで男子には恵まれなかつたこと、一方被告の法定代理人たる母訴外浜本文子は、岡山県吉備郡高松町大字原古才二百三十八番地に居住して米穀ならびに薪炭の販売業を営み、これによつて得る月収約三万円をもつて生計を樹てているものであるが、長男たる滋朗(昭和九年一月三十日生であつて岡山大学農学部卒業。)長女たる恭子(昭和十一年一月十五日生であつて山陽女子高等学校卒業。)二女たる量子(昭和十三年四月三日生であつてノートルダム大学一年在学中。)二男たる被告(昭和十五年十月五日生)、三女たる光子(昭和十七年九月六日生。)四女たる妙子(昭和十九年十一月二十五日生。)を儲けていることがそれぞれ認められる。

そして右認定の事実に証人孝田長生、同苅谷耕三、同伊丹泰子、同松永由起恵、同津組洋子の各証言、原告怜子、被告各本人尋問の結果の一部を綜合すると、被告は総社高等学校第一学年に在学中、昭和三十一年十月頃同校において実施された試験の成績が思わしくなかつたことから登校するのを嫌つてしばらくの間欠席し岡山市内にある操山高等学校にでも転校したいという気持になり被告の母である文子としても、また兄である滋朗としてもともに将来被告を大学に進学させたい意向を持つていたので、被告の右のような気持に副つて進学率の良好な操山高等学校にでも転校させてやりたいと思つたが、学区の関係上その住居地を変えないと転校することができないので、同校の学区である岡山市内に居住している親族と被告との間において養子縁組を仮装しようと考え、滋朗は被告の担任教諭である訴外苅谷耕三に対し「岡山市内に居住している親族と養子縁組をし、同市内の高等学校に転校しなければならないようなことになるかも知れない。」旨を告げていたこと、その後昭和三十二年三月中旬にいたり滋朗は親族関係のある前記鹿夫に対し「被告は現に通学している総社高等学校から岡山市内にある操山高等学校に転校したいと考えており、自分等もこれに賛成しているので被告との間に養子縁組の届出をして戸籍面だけ養子にして貰いたい。被告は自分方から学校に通わせ、学資その他の費用も自分方で出したい。」旨を申入れたところ、鹿夫は右の趣旨のもとにこれを承諾し、岡山家庭裁判所から縁組の許可を受けたうえ戸籍面だけ形式的に養子としたようにする趣旨で、昭和三十二年四月十日前認定のような養子縁組の届出がなされるにいたつたこと、かような経過であるので、当時右縁組の式を挙げ親族近隣の者等にその縁組がなされたことを披露しないし、また被告は右縁組の届出後養父たる鹿夫方において同人等と起居をともにしたことがないのみならず鹿夫方を訪れたり、手紙を取りかわしたこともないこと、更に被告は鹿夫が昭和三十二年七月八日死亡により催うされた葬儀にすら列席しなかつたことが認められる。弁論の全趣旨によつて成立が認められ、当事者間にも成立に争のない乙第一号証の記載、証人浜本滋朗(第一、二回)同尾野静子、尾野堅一の各証言及び被告法定代理人浜本文子、被告各本人尋問の結果のうち、右認定に副わない部分は前顕各証拠に比較してたやすく信用することができないし、他に該認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定した事実によると、昭和三十二年四月十日の届出によりなされた養子縁組は養親たる鹿夫、養子たる被告の双方において真実養親子関係を生ぜしめる意思がなく、単に戸籍上だけ形式的に養親子であることを作為するためになされたものと解するのが相当であるから、右縁組は民法第八百二条第一号にいわゆる当事者に縁組をする意思がない場合に該当して無効であるといわなければならない。

よつて原告の本訴請求は正当として認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西内辰樹)

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